菩提寺の奥にまとまって菩提塔が多数並べられています。どれが誰の菩提を弔っているのかもわからず並んでいるさまは、後醍醐天皇に殉じた一族の行くさまと無常感を漂わせています。
大山町に残る名和長年関連の史跡の一つだ。長年をまつる名和神社から少し離れた長綱寺の裏山にある五輪塔群。伝承によると、長年が後醍醐天皇を奉じて船上山で鎌倉幕府軍と戦った時に戦死した一族の墓、あるいはその時に名和館に残った一族の女性や子どもたちを葬ったあととされる。北条家の残党あるいは足利家によって破壊されるのを防ぐため、地中に隠されていたが、昭和5年、山林開発の折に発見されたという。
無常を感じさせます
菩提寺の奥にまとまって菩提塔が多数並べられています。どれが誰の菩提を弔っているのかもわからず並んでいるさまは、後醍醐天皇に殉じた一族の行くさまと無常感を漂わせています。
ひっそりと
大山町に残る名和長年関連の史跡の一つだ。長年をまつる名和神社から少し離れた長綱寺の裏山にある五輪塔群。伝承によると、長年が後醍醐天皇を奉じて船上山で鎌倉幕府軍と戦った時に戦死した一族の墓、あるいはその時に名和館に残った一族の女性や子どもたちを葬ったあととされる。北条家の残党あるいは足利家によって破壊されるのを防ぐため、地中に隠されていたが、昭和5年、山林開発の折に発見されたという。